前にも何回か萌えだ~と話していた、「真田の遺児が伊達にかくまわれた」
という史実。
実は、京都御所の真田屋敷と伊達屋敷(この時代ほとんどの戦国大名は京都に屋敷を持っていた)(確か豊臣に自分達の奥さんを人質として出すために建てた屋敷・・・だったかな)はお隣さん同士で、
幸村と初代小十郎は仲良しだった!!!なんて新情報を耳にしたのです。
マジでか!マジでか!!!本当だとしたら、かなりMOEだ。
大体、豊臣側として戦った真田の遺児を伊達がかくまってるなんてこと、徳川に対する反逆甚だしいことであって、良くて格下げ悪くて御家取り潰しに匹敵する大スキャンダルだったらしいです。
なので伊達家では、このことは幕府に極秘にしていたとか。
実際、幕府の調査が来たときも、家計図工作してまで真田遺児を守ったとか・・・
ここまでくると、本当に謎ですね。
なんでそこまで守らなきゃいけなかったのか。
小十郎の息子である二代目小十郎の嫁になった、真田阿梅ちゃんも真田だからといって苛められたり(まぁ、多少先妻関係の方々と問題はあっただろうが)はせず、夫婦円満な幸せで温かい生活だったらしいです・・・・。
こういう話をされると、もう真田と伊達が旧知の仲で、幸村が直に伊達に「自分が死んだら子供達を頼む」とかなんとか言ったんじゃない?という妄想が悶々と・・・(これの繰り返し
ああーもうダテサナラビュラビュだなこんちくしょおおぁああ。
あと、もうひとつ余談。
二代目小十郎(片倉重長)が美男子だったのは有名なんですが
まさか、この人まで伊達と衆道の仲だとは知らなかった・・・・orz
筆頭テメー、家臣の子供にまで手を・・・・。ひぃーっ。
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